歳を重ねる男の独白という名のお気持ち
こんばんわ。
ひっそりと更新するために作ったこのブログだけど、ほかにやりたいことだらけで手付かずだった。
あと三か月で39歳を迎え、40が目の前に差し掛かってくる。
自分がふといなくなってしまった時のことを最近は思うこともある。
そうするとこういう文字で残せるものがあってもいいのかなと思って、更新してみる。
30代後半から今にかけて、何度死にかけたか。まじで。
子供のころ、20代のころ、30後半や40っておっさんやん、ただのじじいやんって思っていた。
実際としては、ほんとうに、嘘偽りなく、子供のころや20代のころと、心の中はほんとうに変わりがなくて、幼いままだし、周りの環境や、状況に順応するために大人を演じている。そんな気がする。
俺に父親はいないけれど、今俺は三人の父親だ。身近に例を観てきていないし、周りをみてもどれが正解かなんてとても言えないけれど、ただ不思議と不安はない。偽るつもりも見栄を張るつもりもない。等身大でいれればそれでいいと思ってる。
父親でもあるし、一人の夫でもある。ここが実は一番難しいとことで、一番気を許せる相手でもあり、一番気を許してはいけない相手でもある。変な意味ではなく、甘えてはいけないという意味。常に誠実であることが重要なんだと思う。実際は甘えてしまってはいるし、甘やかしているところはある。ただ、お互い他人であること。は常に意識しないといけないなとは思うわけよ。親しき仲にも礼儀あり、じゃないけどさ。
さて、今夜は少し語りたい気分なので、今の自分、これからの自分について少し語りたい。
THE・自分語り
暇つぶし程度に見ていただけたら幸いである。
あんみこはこうやって形成されており、今このように至っている。かなり引く話もある。でもとやかく言われてもかまわない。まさか、あなたにはそういった後ろめたい過去がなかったなんて胸を張って言えないでしょう?
現在、あんみことして活動している。活動といえるほどの活動をできているかは微妙であるが、少なからず発信はできているかなと思ってる。
あんみこって名前、由来ってなんなの?って最近仲良くなった方から聞かれたりする。
なんなんだろう。
みこって名前は昔からのハンドルネームである。本名から一文字とってるのと、当時遊んでいたFF9のミコトに影響を受けたことが由来。あんは本名から。
これといって思い入れのある名前でもないけど、もう定着しているし、嫌ってわけでもない。
自身を表現するとき、女の子のアバターをつかったり、女の子であるかのように表現することがある。これは疑問を持つ方も多い。ネット上で女性に間違われることも多々ある。
これは、自分自身の女の子へのあこがれからである。
19や20のころ、実は本当に女の子になりたかったことがある。
もとから可愛いものが好きであった自分は、女の子へのあこがれは半端なかった。
しかし、女装や自身を着飾るといった方向性には興味がなかった。根本の欲求はそこではなかったからだ。生物学的男性女性の違い。そこがそもそも違う以上、現実でなにかを変えようという気持ちは湧かなかった。
結果、インターネット上で理想の自身の女性像を創ることとなる。ネット上では自分が女性かのようにふるまい、女性のファッション、メイクの知識など積極的に取り入れた。現代のようなSNSがない時代であることも結果として良い方向に働き、かなり高精度なネカマが出来上がった。なんておぞましい。当時、何人もの男を手玉にとったことだろうか。出会い系サイトに詳しいのも、各地で弄んだからだ。誤解してほしくないのは、男性が好きなわけではない。「インターネット上では女性である自分」に酔い、その欲求こそがすべてであった。
今思えば病気だったんだと思う。一種の自己同一性障害の一種かと。女性として認めてもらう、それがすべて、
この病気はある事件をきっかけに終止符を打つ形となる。
大まかに言うと恋をしたことだ。
自身の根本的な男の部分、変身願望への欲求。そこにケジメをつけなくてはいけなかった。
不思議なもので、こういう決断をしてから、男性ホルモンって急に増えるんだろうね。
面白いほどに声は低くなって、ファッションや言動も男性よりになる。
ネカマから足を洗った俺は、インターネットで新たな一歩を踏み出す。
自分を偽らなくていい、等身大の自分を表現すること。
今の自分に至るわけだが、女性アバターを使い、あんみこという女性キャラを作り上げることは、一種の若かった自分への贐であり、若かった自分を否定してあげない、あのころの自分も、今の自分なんだって肯定する意味で使っています。
ここまでがあんみことしてのなりたち。
文字にしてても自分でも気持ち悪いなって思うこともある。でも許してあげて。若気の至りって言葉、便利でしょ?
さて、インターネットの海で改めて本当の自分として足を踏み出したわけですが、出会いには本当に恵まれ、恵まれすぎていて怖いと思うこともある。
いろんな人と出会い、友達になり、実際に会い、また深く付き合い、大事な友達になっていく。言葉がいいかどうかわからないが、自分にとって、家族と等しいほどの財産である。
そんなみんなと付き合っていると、ふと思うことがある。
この人、こんなに面白いのに、ほかの人にもこの人の面白さを広めたい。
この人、こんなすごいのに、こんな優しく気遣いできるのに、こんなにいい加減でおもろいのに、不器用だけどそこがいいのに。
なんだろう、自分だけしか知らないのもったいない。みんなに知ってほしい。
いわゆるプロデュース。
これが原動力で、前身の大人のゲームセンターが立ち上がる。
いい大人たちが、ゲームしながら、わいわい、くだらないこと話して、下ネタいって、まじめなこと話して。
これをエンターテイメントとして昇華したい。動画にしたい。発信したい。
大人のゲームセンターはひとまず無期限休止(言い方かっこいい)とし、いまはまた別のメンバーと遊んでいるわけだけど、そのメンバーへの気持ちも同じである。
この人たち、ほんとうにおもしろいんだよ。いいとこもっと引き出したい!って気持ちが強い。
いまはマーダーミステリーというゲームにハマっており、みんなもそれを楽しんでくれている。それぞれのいいところを出すのにほんとうにいい題材である。
第一回目のマーダーミステリー「この慟哭は届かない」でも第二回目の「アンノウン」でもすごくよさを引き出せてたと思う。
あとは自分の編集能力がつけばもっと面白いものに仕上げられるんだろうけどなぁ。
こんな自分であるが、仲良くしていただけてることにとてもうれしく思い、感謝してます。
どうか今後も仲良くしていただけると幸いです。
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